殿様の部屋
ここでは、牧野名誉館長が綴る日記などを通じて、長岡や牧野家の歴史の一端をご紹介します。牧野名誉館長は、長岡藩主牧野家の現在のご当主で、歴史関係の催しなど様々な活動に参加し、長岡の魅力を発信していただいております。
長岡藩主牧野家とは?
牧野家はもともと、三河国牛久保(みかわのくにうしくぼ、現在の愛知県豊川市)の地で勢力を持つ一族でしたが、戦国時代に、德川氏の家臣として功績をあげたことにより、譜代大名となりました。上野国大胡(こうずけのくにおおご、現在の群馬県前橋市)、越後国長峰(えちごのくにながみね、現在の新潟県上越市)を経て、元和(げんな)4年(1618)、長岡に領地を与えられ、長岡藩主となりました。その後、明治4年(1871)の廃藩までの約250年の間、牧野家が長岡一帯を統治したため、「牧野家」の歴史を知ることは、長岡の歴史や文化を知ること、と言っても過言ではありません。
初代藩主の牧野忠成(ただなり)の父である牧野康成(やすなり)は、「康」の一字を德川家康からもらい受けました。同じように、牧野忠成は2代将軍秀忠(ひでただ)から「忠」の字を、忠成の子である光成(みつなり)は3代将軍家光(いえみつ)から「光」の字を拝領していて、将軍德川家の信任が厚いことがうかがえます。また、9代藩主牧野忠精(ただきよ)、10代藩主牧野忠雅(ただまさ)、11代藩主牧野忠恭(ただゆき)が、3代にわたって江戸幕府の老中を勤めるなど、「牧野家」は幕府の経営にも大きく貢献しました。
三河以来の牧野家の家風である「常在戦場の精神」や、長岡藩主牧野家とともに長岡の地で醸成された「十分盃の教え」や「米百俵の精神」は、現在、全国的にもたいへん注目されています。
牧野忠昌(まきの ただまさ)名誉館長プロフィール
越後長岡藩主牧野家17代当主
昭和16年 東京都生まれ |
昭和18年~45年 京都市左京区永観堂西町に在住 |
31年間農林水産省水産庁に勤務 この間 沖縄開発庁・科学技術庁に出向 |
平成5年より逗子市に在住 |
平成9年水産庁を退職後 民間会社、水産関係団体に平成19年まで勤務 |
平成27年4月長岡市に転居 |
柏友会(旧越後長岡藩藩士会)名誉会長 |
公益財団法人 こしじ水と緑の会相談役 |
秋山孝ポスター美術館運営委員会副委員長 |
光輝山月照院栄凉寺檀家総代(長岡市 牧野家菩提寺) |
長岡ロータリクラブ名誉会員 |
長岡市立科学博物館(長岡藩主牧野家史料館)名誉館長 |
公益財団法人 長岡市米百俵財団名誉顧問 |
米百俵まつり実行委員会委員長 |
令和3年4月1日現在
殿様日記
牧野名誉館長が綴る、歴史に寄せる思い、旅先の思い出、日々の暮らし・・・
牧野名誉館長特別授業の記録
長岡藩主牧野家資料のご紹介
平成26年6月15日に「さいわいプラザ」3階に『長岡藩主牧野家史料館』が開館しました。
牧野家に伝わった歴代藩主ゆかりの資料や長岡の歴史を大切に思う市民のみなさまが伝えてこられた長岡ゆかりの貴重な資料を多数展示しています。
ここでは、史料館に展示している資料のいくつかを、科学博物館歴史研究室の広井学芸員が解説します。
牧野忠昌名誉館長の主な活動の記録
科学博物館名誉館長としての業務以外のものも含む、牧野忠昌名誉館長の主な活動の記録集です。